別れもあれば出会いもある。
今回は、鹿島アントラーズから驚きの移籍をした選手達についてご紹介していきたいと思います。
1週間で若手主力3名が欧州移籍を発表
2019/07/09 安西幸輝がポルトガル1部ポルティモネンセSCへ
2019/07/12 安部裕葵がスペイン1部FCバルセロナBへ
2019/07/15 鈴木優磨がベルギー1部シント=トロイデンVVへ
2019年7月、怒涛の若手主力3名の移籍報道に堪えた鹿島サポーターも多いのではないでしょうか。
しかも、2019年1月には、昌子源がすでにフランス1部トゥールーズへ移籍していました。
こんなに抜けてしまって、戦力として大丈夫か?と当時は不安に思ったものです。
安西幸輝
東京ヴェルディユースから2014年東京ヴェルディに昇格し、プロデビューを果たし、その後2018年には鹿島アントラーズへ完全移籍で加入しています。
鹿島アントラーズでは、1年目から公式戦47試合に出場し、3ゴールを決めています。
鹿島アントラーズの左サイドバックとしてレギュラーに定着し、AFCチャンピオンズリーグ(※以下、ACL)優勝に貢献しました。
鹿島アントラーズでの活躍、実績を残し、2019年7月に、初の海外挑戦となるポルトガル1部ポルティモネンセSCへ移籍となりました。
2021年には2年ぶりに鹿島アントラーズに復帰することが決まりました。そして、かつてジョルジーニョ、名良橋晃、内田篤人が着用した背番号「2」を引き継ぎました。
攻撃的な左サイドバックとして、2021シーズンも活躍しています。
一度海外移籍した選手がまた鹿島アントラーズに戻ってきてくれるのはとても嬉しいですね。まだ26歳の安西。今後の活躍にも期待です。
安部裕葵
広島県瀬戸内高校卒業後、2017年に鹿島アントラーズへ入団。鮮やかなドリブルで相手選手を突破していくのが印象的な選手です。
ルーキーイヤーである2017シーズンより、公式戦14試合に出場し、2得点をあげています。
2018シーズンは先発出場も大幅に増え(リーグ戦22試合中13試合が先発出場)、チームにとって欠かせない戦力へと成長しました。その年のベストヤングプレーヤー賞を受賞し、翌2019シーズンには、かつてジーコ、ビスマルク、本山雅志、柴崎岳などが背負ってきた背番号10を着用しました。また、コパ・アメリカ2019ではA代表にも選出されています。
そして、2019年7月にFCバルセロナBへ移籍となりました。
安部は2023年6月まで4年間の複数年契約となっていますが、移籍後は怪我に悩まされることも多く、さらには怪我からの復帰後には新型コロナウイルスに感染するなどなかなか本調子には乗れていないようなのが気がかりです。
契約が打ち切られるかもとの噂もありますので、今後の去就にも注目したいですね。
鈴木優磨
小学生の頃から鹿島アントラーズジュニアユースに所属し、2015年にトップチームに昇格しました。ベルギー移籍した現在も、「鹿島の試合は見ている」と公言しているように鹿島愛の強い選手です。
トップ昇格した2015シーズンより公式戦8試合に出場、2得点をあげていますが、翌2016シーズンからはさらに出場機会が増え、クラブW杯(※以下、CWC)にも出場。準決勝では南米代表アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)相手に得点を奪っています。
FWとして得点を重ね続け、2018シーズンにはリーグ戦11得点9アシスト、ACLでは全14試合に出場し、2得点4アシストを記録。鹿島アントラーズ初のアジア制覇に貢献するだけでなく、鈴木は大会MVPにも選出されました。
そんな彼ですが、ACL決勝での負傷により、初めて召集されていた日本代表は辞退となってしまいました。またその後の天皇杯決勝で右ハムストリング筋損傷を負い、2018年のCWCへの出場は見送られ、その後は試合復帰することなく、ベルギー移籍となりました。
ベルギー移籍後の彼の活躍は素晴らしく、2020シーズンのリーグ戦では17得点をあげ、チーム年間MVPに選出されました。
2021シーズンは、さらなる飛躍の場としてイタリアリーグへの移籍を熱望していましたが、移籍は叶わず、シント=トロイデンVVへの残留となりました。
ゴールへの嗅覚、何が何でも点を獲りに行くという、良い意味で日本人らしくない熱いプレースタイルが彼の良さです。今後の彼の活躍にも注目していきたいです。
まとめ
この怒涛の海外移籍は、元々海外でやりたい、と公言していたこともあると思いますが、やはり、2018シーズンのACL制覇で世界での知名度が上がったことと、CWCでの欧州王者レアルマドリード、南米王者リーベルとの試合で感じた世界との差などが影響しているのではないかと思います(※)。
CWCでのレアルマドリード戦は、鹿島アントラーズ選手全員が欧州王者レアルマドリードに本気で勝ちにいった試合だと思っています。もちろんその後のリーベル戦もですが。
しかしレアルマドリード戦の結果は1-3。試合後に内田篤人が「1-3という結果以上の力の差があった。子供みたいだったじゃん、俺ら。」と語っているように、選手がその時感じていた力の差は相当大きかったのだと思います。
そんな中でも、最後までボールを追い続け、試合後には悔しさで涙を流していた選手の姿は印象的でした。
その当時の鹿島アントラーズの選手は、普通のJリーガーでは経験できない夢のよう経験を得たと同時に、世界との差を肌で感じ取り、特に若手選手は、その後のサッカー人生をどのように歩むべきか考えさせられたのではないでしょうか。
(※)2018年12月19日CWC準決勝、レアルマドリードに1-3で敗北。12月22日3位決定戦では、リーベル・プレートに0-4と大敗を喫した。
「禁断の移籍」と言われた興梠慎三の浦和への移籍
鹿島アントラーズからかつてよりバチバチしたライバル関係である浦和レッズへの移籍は、「禁断の移籍」とも言われており、興梠の浦和への移籍は当時衝撃のニュースでした。
興梠慎三といえば、三連覇時代の2007年に頭角を現し、鹿島黄金期を牽引した選手です。
2009年最終節浦和戦でゴールを決め、優勝を決めたその姿は鮮明に覚えている方も多いのではないでしょうか。
しかし、2012年転機が訪れます。当時2トップであった興梠と大迫ですが、チームはなかなか試合に勝てず、順位も低迷していました。その際に改善策として行われたのが大迫1トップへのシステム変更でした。
この1トップ制がうまくはまった鹿島アントラーズは、大迫が出場機会を増やし、興梠はベンチメンバーとなってしまいました。
そんな中で出場機会を求めた興梠は、浦和レッズからのオファーを受け、移籍を決めました。プロのサッカー選手であれば、出場機会を求めて移籍するのは普通のことで、サポーターもそれを受け入れなくてはなりません。
しかし、やはり浦和レッズというチームは、鹿島も浦和もお互いを意識し合うチームです。
今でもホーム戦で興梠がスタメンとしてメンバー発表されると、ブーイングが起きますよね。当時の彼への批判は相当大きかったのではないでしょうか。
ただ、35歳になった現在もJ1の舞台で活躍している姿は尊敬に値しますね。
半年で去った背番号「10」の金崎夢生
ゴールへの執着心、熱いプレーで魅せる彼ほど敵に回したくない選手はいないのではないでしょうか。
金崎は2015年に鹿島アントラーズへ移籍すると、翌2016シーズンはリーグ戦30試合に出場、そのすべてで先発出場しています。2016年は1stステージ、年間優勝を果たしたシーズンです。彼が優勝の立役者と言っても過言ではないでしょう。
2018シーズン、金崎は自ら直訴し、かつてジーコ、レオナルド、ビスマルク、本山、柴崎がつけた背番号10を着用します。
鹿島ファミリーにとって、この背番号10の重みは計り知れないものです。
そんな彼は驚きの移籍をします。
2018シーズン半年ほど経った時に突然、サガン鳥栖への移籍を発表しました。
これには多くの鹿島サポーターが驚き、鹿島の背番号「10」はそんなに軽いものではないぞ、と思ったのではないでしょうか。
しかし、運動量が多く、強度を求められるサッカー選手にとって、プロの世界にいられる時間は限られています。誰と、誰の下で、どのチームでやるかどうかは選手自身が決めるもので、サポーターはその意見を尊重するしかありません。
所属するチームを好きになってくれることはサポーターにとって、とても嬉しいことです。
しかし金崎はサガン鳥栖に移籍した後も、名古屋グランパスエイトに移籍していますし、それほど所属するチームに対するこだわりを持っていないのかもしれませんね。
自分の活躍できる場所を求めて、結果を出し続ける姿は彼の良さでもあるので、これからも応援していきたいです。
さて、これまで鹿島アントラーズから驚きの移籍をした選手をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか。
シーズンが終われば、また来シーズンに向けて新たな編成が行われ、他クラブに移籍する選手、海外挑戦する選手など様々な別れがあります。
しかしサポーターは、選手のどんな選択でも受け入れ、新たなチームでの活躍を応援し続けるしかありません。いずれ戻ってくるかもしれない選手が、また鹿島アントラーズを選んでくれるようなチームであり続けるために、私たちサポーターも応援していきたいですね。

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