【鹿島アントラーズ】歴代監督からシーズンを振り返ります(前半編)

鹿島アントラーズ
この記事で解決できるお悩み

✔︎ 鹿島アントラーズの歴代の監督について知りたい!

✔︎ 常勝軍団と言われる所以は?

✔︎ 「昔の鹿島アントラーズは強かった」って言われるけどよく知らない!

この記事で解説する「鹿島アントラーズの歴代監督」を読めば、今までの鹿島アントラーズがどんな歴史を築いてきたのか分かるようになるはずです。常勝軍団といわれる所以、「昔の鹿島アントラーズ」とは一体どんな感じだったのか一緒に振り返っていきましょう。

まずはこちらの一覧をご覧ください。Jリーグが開幕した1993年から2021年シーズンまでの歴代監督です。

監督
1993-1994宮本 征勝
1994−1995エドゥ
1996-1998ジョアン・カルロス
1998-1999ゼ・マリオ
2000-2005トニーニョ・セレーゾ
2006パウロ・アウトゥオリ
2007-2011オズワルド・オリヴェイラ
2012ジョルジーニョ
2013-2015トニーニョ・セレーゾ
2015-2017石井正忠
2017-2020大岩剛
2020-2021アントニオ・カルロス・ザーゴ
2021相馬直樹
2022-レネ・ヴァイラー *New

そのほとんどが外国人(ブラジル人)監督が占めているのが分かりますね。では、それぞれをピックアップしながら個別に見ていきましょう。

宮本 征勝(みやもと・まさかつ)

ポジション:DF

生年月日:1938年7月4日

出身:茨城県日立市

監督期間:1993〜1994年

鹿島アントラーズ初の監督です。2015年の石井正忠が監督に就任するまでは唯一の日本人監督でもありました。

Jリーグが開幕する前、元々は本田技研工業(ホンダ)サッカー部の監督を務めていました。

Jリーグ開幕に向けてチームが作られていく中で、当時JSL(「日本サッカーリーグ」の略、Jリーグの基礎となったアマチュアリーグ)で上位にいた本田技研工業は、経営不振や本拠地選定への課題から、Jリーグ入りを見送っていました。そこに声をかけたのが鹿島アントラーズでした。

監督だけでなく、本田技研工業サッカー部のレギュラーだった本田泰人、黒崎久志、内藤就行、長谷川祥之、入井和久、千葉修も鹿島アントラーズに移籍してくると、Jリーグ前哨戦となるナビスコカップ(現ルヴァンカップ)ではベスト4という結果を残し、Jリーグ開幕に向けてスタートしたのです。

Jリーグ開幕戦ではジーコのハットトリックなどで名古屋グランパスに5-0で大勝すると、その勢いのままリーグ戦第1ステージ優勝を果たしました。誰も予想していなかった、小さな田舎町に誕生したプロサッカーチームが優勝をかっさらっていくという、まさに「フットボールドリーム」を起こしたのです。

翌1994年ファーストステージ後に宮本は監督を退任し、コーチだったジーコの実兄エドゥが監督に昇格しました。

当時、実質的にピッチ上での指揮を執っていたのはエドゥだったとのことから、両者の対立や現場での混乱などもあったのではないかと言われています。

宮本が鹿島アントラーズの監督に就任していなければ、本田技研工業からレベルの高い選手を何人も引き連れてくることはできなかったでしょうし、初年度から好成績を残すことはできなかったでしょう。

鹿島アントラーズの歴史を語る上で、まさにゼロから1を作り出した存在として宮本の果たした役割は大きいのではないでしょうか。

ジョアン・カルロス

ポジション:サッカー選手としての経験なし

生年月日:1956年1月15日

出身:ブラジル

監督期間:1996〜1998年

サッカー選手としての経験はないものの、鹿島アントラーズに就任した当時、指導者としてのキャリアはすでに20年近く持っているという異色のキャリアの持ち主です。

監督に就任した1996年、その年のリーグ優勝を果たすと、翌1997年にはリーグ1stステージ、ナビスコカップ、天皇杯、ゼロックススーパーカップで優勝。国内主要タイトルを総なめにするという偉業を成し遂げた監督です。

当時の鹿島アントラーズは、ジョルジーニョ、ビスマルク、マジーニョといったブラジル人選手を中心に、若きストライカー柳沢敦、対人や空中戦に強い屈強な秋田豊、1997年加入後長きに渡って鹿島の右サイドバックを務めた名良橋晃、2021年シーズン監督も務めた左サイドバックの相馬直樹といった日本人選手達が、鹿島アントラーズの黄金期を作ったのです。

指揮を執った1996年から1998年途中までの2年半の間に、数々のタイトルをもたらし、彼はまさに「常勝軍団鹿島」を作り上げた監督と言えるでしょう。

一方、1998年夏、キャンプに遅れて合流したジョルジーニョとの確執が原因で監督を辞任しており、シーズン途中での監督交代となってしまいました。

トニーニョ・セレーゾ

ポジション:MF

生年月日:1955年4月21日

出身:ブラジル

監督期間:2000〜2005年、2013〜2015年

2000〜2005年、2013〜2015年を合わせると全部で9年と長きにわたって鹿島アントラーズで指揮を執った監督です。後半の3シーズンについては後ほど紹介します。

セレーゾは就任1年目の2000年より、リーグ年間王者、ナビスコカップ、天皇杯を制し、史上初となる3冠を成し遂げました

2000年後半から2001年はカシマスタジアムの改修工事のため、ホームゲームが国立競技場で開催されていました。

観客動員数もそれまでの1万人台から3〜5万人を動員することが可能となり、それと同時に、優勝を争っていた鹿島アントラーズへの期待値は高く、東京を中心とした首都圏のファン層も積極的に取り込むことができたのがこの時でした。

小笠原満男や中田浩二、本山雅志ら1979年生まれの黄金世代が着実に成長していく中で、セレーゾは2005年シーズンまでの6シーズンを鹿島アントラーズで指揮を執り続け、在任中にはリーグ年間優勝2回、ナビスコカップ優勝2回、天皇杯優勝1回の計5冠獲得の実績を残しました。

パウロ・アウトゥオリ

ポジション:

生年月日:1956年8月25日

出身:ブラジル

監督期間:2006年

チーム全体としては良い結果を残せた監督ではありませんでしたが、若手選手の力を見出した監督です。

2006年シーズンは、大黒柱であった小笠原満男のFCメッシーナ(イタリア)へのシーズン途中での移籍により、チームは失速、リーグ戦は6位、天皇杯は準決勝で浦和レッズに敗れ、ナビスコカップは決勝戦でジェフユナイテッド千葉に敗れ、結局タイトルの獲得は果たせないまま、アウトゥオリは1年での退任となってしまいました。

しかし、高卒ルーキーだった内田篤人をクラブとしては異例の開幕戦スタメンで起用をしたり、当時高卒2年目だった興梠慎三(現浦和レッズ)を起用したりと積極的に若手選手を起用した監督でした。

鹿島アントラーズにとって義務とも言われているタイトルの獲得こそなかったものの、その後のシーズンからは3連覇を果たしていることから、若手と中堅、ベテランを融合させる上でのチームの基盤を作ったとも言えるのではないでしょうか。

オズワルド・オリヴェイラ

ポシジョン:サッカー選手としての経験なし

生年月日:1950年12月5日

出身:ブラジル

監督期間:2007〜2011年

「オズの魔法使い」との異名も持つ、戦術、采配だけでなく各選手のモチベート力に長けた監督です。鹿島アントラーズの歴史を語る上で彼なしでは語れないでしょう。

未だにどのチームも達成できていないリーグ3連覇を成し遂げたのが、このオリヴェイラ監督の時です。

2007〜2011年の在籍期間中に、リーグ優勝3回、天皇杯優勝2回、ナビスコ杯優勝1回、富士ゼロックススーパーカップ優勝2回という好成績を収め、1990年代後半の鹿島アントラーズを彷彿させる黄金期の再到来となったのではないでしょうか。

中でも、オリヴェイラ監督は各選手のモチベーション管理能力に優れた監督でした。

2008年のジュビロ磐田とのホーム最終戦の直前ミーティングでは、家族から選手へ向けたメッセージを集めた動画が上映されました。これは各選手には事前に知らされない中で準備されたものでした。

ジュビロ磐田との試合は、鹿島アントラーズ自身は2連覇、ジュビロ磐田はJ2降格がかかったお互いに非常に重要な試合でした。このタイミングで動画を事前に準備し、選手達をモチベートし、優勝まで導いたその実績は代え難いものです。

感情を爆発させてサポーターとともに喜びを分かち合う姿も非常に印象的な監督でした。


1993年のJリーグ開幕期に就任した宮本監督から3連覇を果たしたオリヴェイラ監督まで見てきましたがいかがだったでしょうか。

ほぼ毎年何かしらタイトルを獲ってきた鹿島アントラーズの強さが見えたことでしょう。

後半編については後ほど書きたいと思います。

【鹿島アントラーズ】歴代監督からシーズンを振り返ります(前半編)

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